私と生物教育

何よりも生徒の生き生きとした反応には私の方が励まされ、授業にも力が入りました。

解剖実験用の眼球の準備を自分で生体から摘出しなければならず何時間もかけて用意したことや、ネズミの解剖で生徒がお墓をつくって供養してくれ毎日毎日線香をあげる姿に心を打たれたり、生徒から学ぶこともたくさんありました。

ウニの発生観察で、受精の瞬間に生徒が歓声をあげました。そこで、「じゃ、シャーレに継続観察用の受精卵をつくるので、スライドガラスはガーゼでふいて洗って下さい」と言ったところ、生徒の実験レポートの感想卵に「どうしてスライドガラスの受精卵は捨てたのですか、かわいそうです。」と抗議されました。こちらの都合で実験を進めたことに気づかされ、それからは「スライドガラスの受精卵も大事な生命ですから、シャーレに入れてあげましょう。」と指導しています。

いつでも生徒の立場を考える指導ということで、貴重な反省をさせてもらいました。

ノートづくり

生徒には「生きたノートづくりをしよう」「自分で生きた参考書をつくろう」ということで最初に語りかけます。

生徒のノートづくりも順調で、卒業した先輩のノートを回覧すると、自分も頑張ろうということできそって手を加えております。

なんと年々ノートが進化するのです。何冊か見本に譲られますが、しばらくすると「やはり、思い出になるので返してほしい。」と何人かが電話をかけてくるほどに愛着がわくノートが出来上がってくると、感慨深く感じます。

さらに「生物を勉強することは自分自身を知ること」「単に受験のためや点数のためではなく、生物や自分の体そして地球をみる目が変わらなければ真に学んだことにはならない。」「学ぶことは楽しいこと、人間だけに許された特権、人生を豊かにしてくれる。」という話を常にするよう心がけています。

今後の抱負

平成11年6月には「岩手県教育弘済会教育賞」を受賞しました。

定年を迎え再雇用にて今も教師を続けておりますが、自分が夢中で取り組んできた「山口方式のモジュール式教育」を世に問い、多くの先生方から批評を受け、ますます頑張らねばと考えています。

「 生物の楽しさを学ぶのにできる子もできない子もない」という信念が、長い間自分自身を支えてくれたような気もします。
学力のない僻地の生徒は難しいといわれるDNAを必死になって覚えようとしました。マメの遺伝に反応しなかった生徒も、ヒトの目の色で遺伝を教えたら、それこそ目の色を変えて学ぼうとしました。

私のプリントは、30年間ほとんど変わっておりません。その間「学習指導要領」は頻繁に変わりました。教師が生徒にこれだけは教えたい、覚えておいて欲しいという願いは、いつになってもどこででも生徒には通じるようです。自己本位といえばそれまでですが、生徒とともに育てた学習パターンを今後とも大切にし、より発展させていきたいと考えております。

終わりに

教職について20年になんなんとする。新米だから不慣れだからと言い逃れのできないベテラン教師の域に入ってきました。

教師にとっては飽きるほどの授業でも、生徒にとってはいつでも初めての授業です。いくつになっても、生徒とともに感動できる心だけは忘れたくないと思います。

生物への感動に進学校も僻地校もなかったことは、私の教育の大きな自身となりました。 すべての生徒にわかる生物教育を掲げてきましたが、まだまだやりたいことは多々残っています。

生物教育が単なる受験の道具にならないよう、生物の素晴らしさと生命の大切さをつねに生徒に語りかける真の生きた生物教育を目指して、さらに一層の研鑽を積みたいと思います。

テキスト紹介

自己本位のままに夢中でまとめたテキストですので、諸先生方のご批評をいただければ幸いです。テキストをご覧になりたい方、またはご意見等のいただける方はご連絡下さい。